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家族が唯一社会的単位

義理は倫理においては二次的な力がある。義理は動機としては、キリスト教の愛の教えには無限に劣る。愛こそが唯一の律法でなければならないのである。義理とは、人為的社会の諸条件の産物だと私は思う。すなわち、その社会にあっては、生まれや分不相応の恩顧が階級的差別をつくりあげ、家族が唯一の社会的単位である。
(参考:佐藤全弘訳新渡戸稲造「武士道」):教文館

義理は奇怪な誤称

私の考えでは、義理は正しい道理として出発しながら、しばしば快疑論にまで身を落としたのである。義理は非難を恐れる臆病にまでも堕落さえした。正しい道理より以上に、またはより以下にまで運ばれて、義理は奇怪な誤称となった。義理はその両翼の下に、あらゆる種類の詭弁と偽善をかくまった。かりにも武士道に鋭く正しい勇気の感覚、すなわち敢為忍耐の精神がなかったとすれば、義理はたやすく臆病者の巣になり果てたことでしょう。
(参考:佐藤全弘訳新渡戸稲造「武士道」):教文館